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プロフィール
大盛貝塚
大盛貝塚
人生色々ありますが、魚が釣れるとそれなりに幸せな人。

2018年05月17日

雨後のボーナスタイムにあたったんだぜ

今年も荒川上流域にもシーバスが入ってきました。
大体、マルタウグイの遡上と入れ替わりで稚アユが来て、合わせてシーバスが上ってくるんだけど、今年は春が暖かかったせいか、少し早めの来訪の印象。

しかし居るからといって釣れるかどうかは別の話。
特にこの2・3年はアングラーが増えていて、1等ポイントにはいつでも誰かが入っているような状態。こんなところまで? という場所まで人がいるので、プレッシャーが激しすぎて...。
河口域や運河に釣り禁止の場所が増えているらしいので流れて来ているのだろうか。

そんな状態だけど、雨の降った後は濁りと水流が強くなる関係で、普段ポイントにならない場所がポイントになったりする。そういう場所にうまく入れれば、僕程度の腕のアングラーでもなんとか魚に出会えたりするのだ。多分。きっと。出会えたらいいな。出会いたいなあ...。

ということで先日の雨の後、とある場所にイン。
仕事終わりでしか行けないので8時くらいからの短時間釣行。
余計なところを見回る時間はない。この日も別のポイントは先行者がいっぱいなので、他の選択肢全てを諦めて一ヶ所に賭ける。

幸運にも先行者はいない。
正直、これで勝負の8割は決まった。

流れに合わせて、まずはフラッシュミノーをゆるゆると巻く。ショートバイトはあるが、今一歩アピールに欠けるようだった。カラーがクリアワカサギだからかな笑
ということでエリア10のレッドヘッドにチェンジ。水面直下をドリフトさせるとコココン。



教科書通りの気持ちいい一本。イメージ通りに魚を釣ったのはいつ以来か笑
しかも何気に、エリア10で釣ったのは初めて。

サブサーフェスは魚が暴れて警戒されたのか、後が続かない。
しかしまだ魚はいる気配。レンジを下げてアプローチすべく、永久定番ラパラCD7を投入。バックトゥベーシック。



結果は一発で出た。
そう、やっぱり行きつくところはラパラなんですよ。
まあ正直、この魚は他のルアーでも釣れた気はする笑
CD7でもう一本来たけどそれはバラシ。
その後反応が消えたので見切られた感じ。

しかしこのホットスポット、次にいつ現れるかわからない。
マルチヒットに気をよくしてはいたけど、まだやりきっていない気分。
そこで僕の神様、ラパラCDJ7に降臨願う。いつでも効くルアーではないけど、流れがこのルアーを使うのにいい感じだったのだ。

神は、居られました。

これも1投目。ドリフトさせると、引ったくられる感覚。ドラグが悲鳴を上げる。
いいサイズ。一瞬だけ場を荒らすことに躊躇するが、バラすと後悔しそうなので、この一本に賭けることにした。
この魚、下へ下へと潜るタイプ。だがいきなりのヘッドシェイクでシーバスであることは確定。
ロッドは旧式のダイワ、シルバークリークの本流ロッド。この竿、ダルい癖に謎のリフト能力がある。なんとか主導権は握らせず、ネットイン成功。



あれ、あんまり長くない...56センチでした。
しかしヒラスズキかよと思うような立派な体高。余は満足じゃ。

その後はさすがに反応無くなり終了。
あー気持ちいい。
しかし忘れてはならない。これはイレギュラーなのだと。こんなに釣れるのが普通だと思うな。
自分を戒めつつ、とっても久しぶりに充足感に満たされたのでした。  


Posted by 大盛貝塚 at 19:15Comments(0)釣行記

2018年05月15日

ラパラとベイトフィネスは相性が良さそうだぜ

題名について、十分条件ではあるけれど必要条件ではないので補足すると「固定重心のルアーにはベイトタックルは相性が良いかもしれないぜ」となります。
ラパラ愛が強すぎてこうなりました。

ルアーの飛距離を考えるときにポイントになる要素はいくつかあるけど、中でも飛形姿勢は重要な要素だと思う。

もちろんロッドの長さやルアーの重さは飛距離に大きく影響するのだけど、長いロッドで重いルアーを投げたとしても、ルアーがくるくる回ったり横を向いたりしてしまうと空気抵抗で飛距離はガクンと落ちてしまう。

メタルジグやスプーンがよく飛ぶのは、重さもさることながら後方に重心がある(ことが多い)ことで、ルアーの姿勢が飛ぶ方向に一直線になるからだ。
シェイプがシンプルで中に構造を持たないが故にそうなってくれるのだけど、ミノーやクランクベイトだとなかなかそうもいかない。

それを解決するために産まれたのが重心移動システムなのだが、重心移動システム搭載ルアーは固定重心に比べてアクションレスポンスがイマイチだったり安定しなかったりして、やっぱり固定重心のルアーが手放せなかったりする。

そんな固定重心の空力の悪いルアーでも、ベイトタックルで扱うと意外と飛ぶことがある。

というのも、ベイトでキャストすると、バックラッシュしない限りは基本的に、僅かにラインテンションがかかった状態で飛ぶからだろう。
遠心でもマグネットでもサミングでもいいけれど、ベイトはブレーキをかけながらスプールを回すので、飛んでいるルアーには常にアングラー方向に引っ張る力が働く。結果、ラインアイは手前を向いて、ルアーはお尻を外にして飛んで行くことになり、飛形が安定してくれるのだ。
スピニングで投げても横を向いて全然飛ばないルアーでも、意外と飛距離が出たり。

だからシャッドラップみたいなラパラのクラシックなバルサ製のルアーでも、ベイトで投げると思ったより飛んでくれた。

まあどうしても自重が軽いから、普通に使えばスピニングでもシンドイのはそうなのだが、今ならベイトフィネスタックルが出ているので、これを使えば実用範囲では結構飛んでくれたり。

ということを感じたGWの昼下がり。
シャッドラップ最小の4センチモデルで挑んだベイトフィネスで河川シーバスが釣れた時に、案外いいなと思いました。


実はスモールマウスを狙っていたのは秘密だけど、まあいいじゃないか。  


Posted by 大盛貝塚 at 07:31Comments(0)ルアーリール私見釣行記

2018年05月01日

アドレナリンはハマりはじめに出るぜ

初めて釣りをしたのは、小さな頃、祖父に連れられて行った小さな池だった。

そこはニュータウンの中にある、団地の住人たちのために整備された公園の中の単なるオブジェクトに過ぎなかったと思う。
そこで釣りをしている人がいるのを見て、その気もなしに何となく「面白そう」と呟いた僕に、祖父は物置から年代物の釣り道具を引っ張り出して与えてくれた。

リールは巻くとカリカリうるさい、当時既に買ってから20年は経っていたであろうオリムピックの小さなスピニング。竿は何とウッドの投げ竿だった。
投げ釣り用の色分けされた5号ナイロンが巻かれ、キス釣り用の出来合いの、流線針がついた仕掛け。そこにご飯粒を餌に釣りをした。

それでも、池にいたブルーギルは盛んに食いついてきてくれて、小さな子供だった僕は初めての釣りを大いに楽しんだ。
当時、池にいる平たい魚はすべてフナだと思っていて、フナだフナだと声をあげていたのを覚えている。

端からみれば、何気ない昼下がりのひとコマだった。
ただその出来事は、彼にとっては人生を決めてしまうほどのエポックだった。
今思い出してもそれがなぜだったのかはわからない。しかしその後、父親にも連れていってもらい何度か釣りをしたのだけど、その度に夜も眠れないくらいに楽しくて興奮していたのを覚えている。
少年の脳内でどれくらい膨大なアドレナリンが出ていたのか想像もつかない。

パブロフの犬のようなものかもしれない。その後も釣りへの欲求は衰えることを知らなかった。
上記のようなアンバランスな道具では釣れるものも釣れないのはお察しいただけるかと思うけれど、それでも近所の川へ毎日のように繰り出せば、何度かに一度は魚が掛かってくれた。
その度にアドレナリンは放出され、魚が釣れることではなく、釣りにいくことに興奮してくるのだ。
毎回釣れるわけではないのが、またタチが悪い。
アタリだけあった、バラしてしまった、そんな惜しいシチュエーションの度に、体がビクッと反応してしまうのだ。

変な話だけど、毎回釣れるとこの衝動は薄らいでくる。釣れることがわかっている釣りであれば、こんなにのめり込むことはなかったはずだ。
この感覚は、アングラーならわかっていただけるのではないでしょうか。

例えばバス釣りをずっと続けて、だんだん上手くなってくる。最初は釣れることの方が珍しかったのが、徐々にボウズの日が少なくなって、釣れることが日常になってくる。
もちろん釣りは奥が深いので、多分、人生をかけても極めることはできないのだけども、それでもとりあえず魚に出会えるようにはなってくる。

するとかつての興奮が薄らいで、冷静になり、状況がよく見えてきて、結果もっと釣れるようになる。
なのに、なぜか一抹の寂しさも覚えるのだ。
一匹に、一度のアタリに心臓が飛び出るくらいに興奮した時期のこと。
翌日の釣りが楽しみ過ぎて眠れなかった夜のこと。
釣れなくて悔しくてすぐにでもまたフィールドに立ちたかった日のこと。
一日中、ただ一匹の魚のことを考えていたあの時間。永遠の片想いのような楽しさと苦しさ。
魚を釣りたい。ただそれだけのことなのに、どうしてここまでのめり込めるのか。アドレナリンは初めの頃に一番多く出て、その時が一番楽しく、一番苦しい。

新しい釣りを始めたとき、この気持ちを思い出す。最近だとシーバスにハマったとき。今でもだけど、アタリはあるくせに乗らない、バレまくるという下手なアングラーによくあるシチュエーションに、しかしまたアドレナリンが放出される。

人は経験に磨かれ、同時に削られてもしまう。
どうしようもなく魚を釣りたいのに、この気持ちが薄れることが切なくもある。
そんな自分に気遣いてしまうほど歳をとってしまったのかもしれない、なんて思いながら。

幸か不幸か、僕は釣りが下手なので、楽しい時間が長く続く。
良いのか悪いのか...。

釣りとは本当に面倒くさい趣味でありますな。  


Posted by 大盛貝塚 at 19:26Comments(0)私見