2022年12月21日
東京トラウトカントリーはアングラーの手慰みの地だったんだぜ
冬になると赴くエリアトラウト行脚。
埼玉住まいの僕にとって、行ける範囲の首都圏にはそれなりの数のエリアがある。
釣りとしてはポンド型も悪くない。突き詰めれば奥が深い遊びができる。
でもやっぱり僕は天然のフィールドも好きだ。
そこで訪れたのが、多分、日本で一番ナチュラルなエリアトラウトのフィールドであろう、東京トラウトカントリー。
テンカラをしない僕でも名前は知っている、テンカラの神様、堀江渓愚氏のプロデュースらしい。
シチュエーションは奥多摩の支流をそのまま利用しているストリームタイプとのこと。
エキスパート向けのエリアが設定されていて、ここに行くにはウェーダーが必須らしい。
僕はそこまでガチな渓流アングラーではないけど、とりあえずそれ以外のエリアなら楽しめるだろうと思い、足を踏み入れました。
受付を済ませ、エリアに足を踏入れて、直ぐに気づかされる。
甘かった、と。

ここは渓流だ。
それも観光地のような遊歩道なんてない、源流そのもの。
まず、道がない。

僕は昔、低山が中心だが登山をやっていたことがあり、その中で少し沢登りのような真似事もしたことがある。
シチュエーションはまさにそれ。大きな岩をはい登り、先人の踏みあとを頼りに、道と言えない道を行く。
すっかり山から離れてしまった体に、感覚が蘇ってくる...が、肉体がついていかない。

ようやく水辺に立つ。
ロケーションは素晴らしいが、ここは、そのままの源流だ。
エリアトラウトで揃えたルアーの大半は役に立たない。ルアーを引けるスペースが非常に狭いし、2g程度のスプーンでは流れに負けてリトリーブもおぼつかない。
タックルボックスに忍ばせていたスピアヘッドリュウキで何とか釣りという行為ができる程度。
魚影は...見当たらない。
いや、居ないのではない。水辺を行くと、人影に気づいたマスがサッと逃げていく。
それに僕が気づけないだけ。
そう、渓流とはこういう場所だった。
魚は本来見えないものなのだ。ポンド型エリアトラウトで鈍っていたけれど、それが本来のフィールド。
そんな状態なので、釣果は期待できるわけがない。
ポイントはなるほど、テンカラ向きでもある。
ピンスポットをひとつひとつ、手前から丁寧にアプローチしていくべきだろう。50cm円くらいがスポットなのだ。
ルアーが利くような、巻けるスペースが少ない。
大きな淵が2つほどあり、そこに魚が溜まっているのが見えた。
ようやく僕の腕でもルアーを引けるスポットだと、色々試してみるものの、見えている魚は喰わないというのも釣りの基本。
立ち位置を変え、岩影に身を隠し、渓流ではほとんどやるアングラーはいないであろう縦釣りでようやく仕留めた小さなニジマス。

これがこの日の全てだった。
楽しくなかったか?
と言われれば、そういう訳でもない。
雰囲気は良いし人も少ない。釣果はさておき、釣りとしては気持ちよくできた。フラストレーションがあったのは認めるが、それは単に心身道具、全てが見事に準備不足だっただけだ。
しかし、僕の脳裏にふと思いがよぎる。
ここで心から満足できるアングラーはいないのでは?
受付は人のいい方だった。
併設のカフェも、料理は美味しいし、落ち着いた雰囲気が心休まる。
訪れる他のアングラーも、心からの釣り好きなのだろう、皆雰囲気の良い紳士だった。
だが、エリアトラウトのエキスパートのように釣果を求めるタイプのアングラーには合わない場所でもある。
渓流釣りのアングラーにはどうか?
確かにピッタリなフィールドではある。しかし、堀江氏のようなエキスパートは、本当にここだけで満足できるだろうか。
ここは素晴らしい渓流ではあるが、ここだけが素晴らしい渓流というわけでもない。もっと険しい手付かずの山岳河川もあれば、本流近くの天然の尺が潜む人知れない淵もあるだろう。
つまるところ、東京トラウトカントリーは、禁漁や時間や距離なんかの制約で、己をもて余した、本気のアングラーの気持ちの発散の場。
悪い表現かもしれないが、かりそめの釣り場なのでは。
だから、ここは平和である。
早朝出発前の釣り船や、堤防の人気ポイントに陣取る常連釣り人、日の出前にボートに乗り込むバサー達の熱気、もしくは解禁初日の渓流の朝。
プールタイプのエリアトラウトだって、良い場所を求めて開場前から人が並ぶ。
あの、ギラギラした前のめりの雰囲気が、ここにはない。
水墨画で描かれた太公望のように、心穏やかに糸を垂らすのは、本当は本物のアングラーではないのだ。
本気の釣りとは、もっと感情的で野蛮な遊びなのである。
薪ストーブの煙突からなびく煙が、山々に静かに溶け込んでいく。
ここを訪れるアングラーたちは、心穏やかに釣りをし、帰路に着く。
今日は楽しかったねと、次の釣りへのギラギラした欲望を胸に。
そしてその釣りをしに行くのは、多分ここではない。各々の欲望をぶつける、解禁後の渓流なのだろう。
釣りという欲望にまみれたアングラー達の、ひとときの手慰みの場。
ここは、そういう場なのだと思った。
埼玉住まいの僕にとって、行ける範囲の首都圏にはそれなりの数のエリアがある。
釣りとしてはポンド型も悪くない。突き詰めれば奥が深い遊びができる。
でもやっぱり僕は天然のフィールドも好きだ。
そこで訪れたのが、多分、日本で一番ナチュラルなエリアトラウトのフィールドであろう、東京トラウトカントリー。
テンカラをしない僕でも名前は知っている、テンカラの神様、堀江渓愚氏のプロデュースらしい。
シチュエーションは奥多摩の支流をそのまま利用しているストリームタイプとのこと。
エキスパート向けのエリアが設定されていて、ここに行くにはウェーダーが必須らしい。
僕はそこまでガチな渓流アングラーではないけど、とりあえずそれ以外のエリアなら楽しめるだろうと思い、足を踏み入れました。
受付を済ませ、エリアに足を踏入れて、直ぐに気づかされる。
甘かった、と。

ここは渓流だ。
それも観光地のような遊歩道なんてない、源流そのもの。
まず、道がない。

僕は昔、低山が中心だが登山をやっていたことがあり、その中で少し沢登りのような真似事もしたことがある。
シチュエーションはまさにそれ。大きな岩をはい登り、先人の踏みあとを頼りに、道と言えない道を行く。
すっかり山から離れてしまった体に、感覚が蘇ってくる...が、肉体がついていかない。

ようやく水辺に立つ。
ロケーションは素晴らしいが、ここは、そのままの源流だ。
エリアトラウトで揃えたルアーの大半は役に立たない。ルアーを引けるスペースが非常に狭いし、2g程度のスプーンでは流れに負けてリトリーブもおぼつかない。
タックルボックスに忍ばせていたスピアヘッドリュウキで何とか釣りという行為ができる程度。
魚影は...見当たらない。
いや、居ないのではない。水辺を行くと、人影に気づいたマスがサッと逃げていく。
それに僕が気づけないだけ。
そう、渓流とはこういう場所だった。
魚は本来見えないものなのだ。ポンド型エリアトラウトで鈍っていたけれど、それが本来のフィールド。
そんな状態なので、釣果は期待できるわけがない。
ポイントはなるほど、テンカラ向きでもある。
ピンスポットをひとつひとつ、手前から丁寧にアプローチしていくべきだろう。50cm円くらいがスポットなのだ。
ルアーが利くような、巻けるスペースが少ない。
大きな淵が2つほどあり、そこに魚が溜まっているのが見えた。
ようやく僕の腕でもルアーを引けるスポットだと、色々試してみるものの、見えている魚は喰わないというのも釣りの基本。
立ち位置を変え、岩影に身を隠し、渓流ではほとんどやるアングラーはいないであろう縦釣りでようやく仕留めた小さなニジマス。

これがこの日の全てだった。
楽しくなかったか?
と言われれば、そういう訳でもない。
雰囲気は良いし人も少ない。釣果はさておき、釣りとしては気持ちよくできた。フラストレーションがあったのは認めるが、それは単に心身道具、全てが見事に準備不足だっただけだ。
しかし、僕の脳裏にふと思いがよぎる。
ここで心から満足できるアングラーはいないのでは?
受付は人のいい方だった。
併設のカフェも、料理は美味しいし、落ち着いた雰囲気が心休まる。
訪れる他のアングラーも、心からの釣り好きなのだろう、皆雰囲気の良い紳士だった。
だが、エリアトラウトのエキスパートのように釣果を求めるタイプのアングラーには合わない場所でもある。
渓流釣りのアングラーにはどうか?
確かにピッタリなフィールドではある。しかし、堀江氏のようなエキスパートは、本当にここだけで満足できるだろうか。
ここは素晴らしい渓流ではあるが、ここだけが素晴らしい渓流というわけでもない。もっと険しい手付かずの山岳河川もあれば、本流近くの天然の尺が潜む人知れない淵もあるだろう。
つまるところ、東京トラウトカントリーは、禁漁や時間や距離なんかの制約で、己をもて余した、本気のアングラーの気持ちの発散の場。
悪い表現かもしれないが、かりそめの釣り場なのでは。
だから、ここは平和である。
早朝出発前の釣り船や、堤防の人気ポイントに陣取る常連釣り人、日の出前にボートに乗り込むバサー達の熱気、もしくは解禁初日の渓流の朝。
プールタイプのエリアトラウトだって、良い場所を求めて開場前から人が並ぶ。
あの、ギラギラした前のめりの雰囲気が、ここにはない。
水墨画で描かれた太公望のように、心穏やかに糸を垂らすのは、本当は本物のアングラーではないのだ。
本気の釣りとは、もっと感情的で野蛮な遊びなのである。
薪ストーブの煙突からなびく煙が、山々に静かに溶け込んでいく。
ここを訪れるアングラーたちは、心穏やかに釣りをし、帰路に着く。
今日は楽しかったねと、次の釣りへのギラギラした欲望を胸に。
そしてその釣りをしに行くのは、多分ここではない。各々の欲望をぶつける、解禁後の渓流なのだろう。
釣りという欲望にまみれたアングラー達の、ひとときの手慰みの場。
ここは、そういう場なのだと思った。