2016年02月06日
都会を生ききったサクラマスに敬意を払うんだぜ

あえて細かい場所は伏せるけど、10年ほど前に荒川へバス釣りに行った時、あるポイントで異様な集団に出会った事を覚えている。
彼らはおおよそ首都圏のアングラーに似つかわしくないタックル…サーモンを狙うかのような強いフライタックルや大河川用の本流トラウトロッドに、デカいマラブーや10g以上はあるスプーンなんかを一心不乱に投げていたのだ。
目の前にあるのは濁ったただの都会の川なのに。
釣れていたのは産卵のため遡上してきたマルタウグイくらいだったが、今思えばあれはサクラマスを狙っていたのだ。
荒川にサクラマスが遡上する。
最初はにわかに信じられなかったけれど、釣果をアップしているブログもあったし、実際に死骸を見つけたこともあり、本当だと知るに至った。
サクラマスはヤマメの降海型であり、ちなみにアマゴの降海型はサツキマスだ。
サケとマスの生物学上の境目は曖昧だと聞いた事がある。マスも、環境が許すのであれば海に降りたいのだ。比喩でも冗談でもなく、恐らくは遺伝子レベルで海を求める。たとえ親が養魚場で生まれ育った個体だとしても。
荒川にはかつて天然のサクラマスが遡上していたらしい。僕が見た死骸が、皆が狙っている個体が、僅かに残った天然魚なのか放流魚の二世なのかはわからないが、幾つもの取水堰を越えて東京湾に降ったヤマメの稚魚が、恐らく湾奥の快適とは言えない環境で育ち、産まれ故郷を求めて荒川に上ってくる。
彼らはしかし、悲しいかなほとんど産まれた場所へは戻れない。ほぼ全てが最初の水門、埼玉の秋ヶ瀬取水堰を越えられず死滅するものだと思われる。
それでも彼らは川を登らざるを得ない。抗えない本能がそうさせる。
長く険しい旅の最後に、都会の濁った川のテトラポットの上に屍を晒す彼らの横に立ち、僕は彼らに心の中で敬礼をし、その横で竿を振る。
サクラマスが上る川だから、堰を壊せだの環境保護活動をしろだの言うつもりはない。ただ、彼らがそこにいるという事を心に留めておく義務はアングラーにあると思う。知っていること、それだけでも人の行動は変化するものだと思うから。
誰に文句を言うでもなく生涯を全うした彼らは、たとえ腐ってハエがたかっていても、誇り高く美しく見える。
Posted by 大盛貝塚 at 12:16│Comments(0)
│環境
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