2016年03月23日
バスロッドの変遷に感慨にふけるんだぜ
日本のバスフィッシングの黎明期、についてはリアルタイムで生きていなかったので詳しいことは知らない。ただロッドの素材がグラスだったろうことは想像に難くない。
短いけれど重いロッドに、これまた重いアブやダイワの初代ミリオネアなんかをセットし、シングルハンドでキャストしていた先人達には頭が下がる思いだ。バスの生息数も少なくルアーも大したものがなかった時代、ひょっとしたら今のバサーよりテクニックは上だったかもしれない。
時代は飛んで90年代、バスブームのあたりにロッドは大きく変化した。
要因は、
ひとつはバスプロとトーナメントの発展、
ひとつはカーボン素材の進化、
そして何より収益性が釣り具業界にとって最も高かった時期だったこと。
フィールドはアングラーで溢れかえり、スレが急速に加速。ダウンショットリグが広まり、フィネスという言葉が定着し、それまでの牧歌的なタックルでは対応出来なくなった時、ロッドの進化はある意味一人歩きを始めた。
フロロの細糸と小さなワームを使う釣りは感度が求められる。
誤解を恐れずに言えば、おおよそロッドは高弾性の方が感度が良くなる。そして小さなワームを操るにはティップまで直感的に操作できる張りが必要だった。
この二つを全盛期のバスプロ達は追い求め、結果バスロッドはパリパリの曲がらないロッドとなった。それを開発するメーカーの財力と、それを何本も揃えるアングラーの市場が業界にはあったのだ。
だがこの手のロッドには弱点がある。
キャストした際のスイートスポットが非常に狭いこと、魚の引きを吸収できないためバレやすいこと、そして折れやすいことだ。
魚の引きに対しては、合わせてリールが進化…具体的にはスピニングのドラグ性能の向上で対処はなんとか行えた(代わりに値段が高騰したので個人的には辛かった)が、残りの二つのデメリットにはユーザーが対応出来なかった。
故にブームが去った後、もはや多くのユーザーはこのスタイルについて行かなかった。
バスフィッシングはボートを使ったトーナメントスタイルから、陸っぱり主体の休日の手軽なホビーへと変化、もしくは回帰していった。それに伴いバスロッドはやや軌道修正を余儀なくされる。使いやすく、適度に曲がる竿に変わり、その流れは今も続いている。
しかし、パリパリ時代のバスロッドも、全てがそうなった訳ではない。
当時、恐らくだが高弾性カーボンは高価だった。故にエントリークラスのロッドは継続して中弾性もしくは低弾性カーボンが使われ続け、結果的に当時進化したアクション、ガイドなどの機能面でのデザインは踏襲されつつ、適度に曲がる使いやすいロッドが生産されていたのだ。
例えばダイコーのブルーダー。バットに高弾性カーボンをあしらあつつ、ティップにかけては中弾性カーボンを使用し、美しい青のブランクスのカラーリングと素直なアクション、15000円程度の価格と相まって大ヒットした。これを代表格として、(結果的に)トーナメントプロモデルとはまた別の機能性のベクトルを向いた製品達も生まれていたのだ。
なんて前置きがクソ長くなってしまったけど、要するに懐かしの時代の廉価ながら、いいロッドを入手してしまって僕は自慢したいのです。
オリムピック センチュリー オンディーヌです。美品がなんと黄色いお店で2150円也。
なんかセダン車みたいな名前と気持ちダサいカラーリングだけど、いい買い物でした。
僕がガキの頃、約一万円くらいの値段で店頭で見たことがある。
ガイドはsicリングのダブルフットで今からしたら大口径。レングスは6フィートなのにシングルハンドに毛が生えたくらいのショートグリップ。3/4ozまで背負えるらしいパワー、だけど素直なテーパーで決して曲がらないブランクスではない。今ではお目にかかれないスペックだ。
ジャーキングロッドを物色してたら発見しました。ジャーキング用としては6フィートはちょっと長いけどね。
オリムピックは今のオリムピックではなく、一回倒産する前の最終世代のオリムピックじゃなかったかな、多分。
当時も地味だけど信頼の置ける渋いメーカーだったと記憶している。70年代まで遡れば、それはもう日本の釣り具の一大メーカーだったんだと思う。僕の知っている限り、当時のじい様方が物置から年代物の釣り具を引っ張り出せば、大抵オリムピックだったのだから。
とにかくこの新しい相棒と、20ポンドナイロン巻いたイクシオーネの90年代タックルで、今年はジャーキングでビックフィッシュ釣ってやるんじゃグフフフ。
短いけれど重いロッドに、これまた重いアブやダイワの初代ミリオネアなんかをセットし、シングルハンドでキャストしていた先人達には頭が下がる思いだ。バスの生息数も少なくルアーも大したものがなかった時代、ひょっとしたら今のバサーよりテクニックは上だったかもしれない。
時代は飛んで90年代、バスブームのあたりにロッドは大きく変化した。
要因は、
ひとつはバスプロとトーナメントの発展、
ひとつはカーボン素材の進化、
そして何より収益性が釣り具業界にとって最も高かった時期だったこと。
フィールドはアングラーで溢れかえり、スレが急速に加速。ダウンショットリグが広まり、フィネスという言葉が定着し、それまでの牧歌的なタックルでは対応出来なくなった時、ロッドの進化はある意味一人歩きを始めた。
フロロの細糸と小さなワームを使う釣りは感度が求められる。
誤解を恐れずに言えば、おおよそロッドは高弾性の方が感度が良くなる。そして小さなワームを操るにはティップまで直感的に操作できる張りが必要だった。
この二つを全盛期のバスプロ達は追い求め、結果バスロッドはパリパリの曲がらないロッドとなった。それを開発するメーカーの財力と、それを何本も揃えるアングラーの市場が業界にはあったのだ。
だがこの手のロッドには弱点がある。
キャストした際のスイートスポットが非常に狭いこと、魚の引きを吸収できないためバレやすいこと、そして折れやすいことだ。
魚の引きに対しては、合わせてリールが進化…具体的にはスピニングのドラグ性能の向上で対処はなんとか行えた(代わりに値段が高騰したので個人的には辛かった)が、残りの二つのデメリットにはユーザーが対応出来なかった。
故にブームが去った後、もはや多くのユーザーはこのスタイルについて行かなかった。
バスフィッシングはボートを使ったトーナメントスタイルから、陸っぱり主体の休日の手軽なホビーへと変化、もしくは回帰していった。それに伴いバスロッドはやや軌道修正を余儀なくされる。使いやすく、適度に曲がる竿に変わり、その流れは今も続いている。
しかし、パリパリ時代のバスロッドも、全てがそうなった訳ではない。
当時、恐らくだが高弾性カーボンは高価だった。故にエントリークラスのロッドは継続して中弾性もしくは低弾性カーボンが使われ続け、結果的に当時進化したアクション、ガイドなどの機能面でのデザインは踏襲されつつ、適度に曲がる使いやすいロッドが生産されていたのだ。
例えばダイコーのブルーダー。バットに高弾性カーボンをあしらあつつ、ティップにかけては中弾性カーボンを使用し、美しい青のブランクスのカラーリングと素直なアクション、15000円程度の価格と相まって大ヒットした。これを代表格として、(結果的に)トーナメントプロモデルとはまた別の機能性のベクトルを向いた製品達も生まれていたのだ。
なんて前置きがクソ長くなってしまったけど、要するに懐かしの時代の廉価ながら、いいロッドを入手してしまって僕は自慢したいのです。
オリムピック センチュリー オンディーヌです。美品がなんと黄色いお店で2150円也。
なんかセダン車みたいな名前と気持ちダサいカラーリングだけど、いい買い物でした。
僕がガキの頃、約一万円くらいの値段で店頭で見たことがある。
ガイドはsicリングのダブルフットで今からしたら大口径。レングスは6フィートなのにシングルハンドに毛が生えたくらいのショートグリップ。3/4ozまで背負えるらしいパワー、だけど素直なテーパーで決して曲がらないブランクスではない。今ではお目にかかれないスペックだ。
ジャーキングロッドを物色してたら発見しました。ジャーキング用としては6フィートはちょっと長いけどね。
オリムピックは今のオリムピックではなく、一回倒産する前の最終世代のオリムピックじゃなかったかな、多分。
当時も地味だけど信頼の置ける渋いメーカーだったと記憶している。70年代まで遡れば、それはもう日本の釣り具の一大メーカーだったんだと思う。僕の知っている限り、当時のじい様方が物置から年代物の釣り具を引っ張り出せば、大抵オリムピックだったのだから。
とにかくこの新しい相棒と、20ポンドナイロン巻いたイクシオーネの90年代タックルで、今年はジャーキングでビックフィッシュ釣ってやるんじゃグフフフ。
Posted by 大盛貝塚 at 07:22│Comments(0)
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